今年もいよいよ終わり
来年こそは ものすごい作品を作るぞー
12月27日 たかし
2010年12月27日月曜日
2010年12月12日日曜日
2010年12月6日月曜日
2010年12月2日木曜日
2010年11月30日火曜日
2010年11月29日月曜日
2010年11月19日金曜日
こんばんわ
本日は慣れない作業お疲れ様でした!
慣れない作業は肩がこると思います…、
大変ですがサイト開設に向け
僕も含め皆さんで頑張っていきましょう^^
ところで、ただいま制作の説明書を制作中です。今しばらくお待ちください。
メールにてご送付いたします。
こちらのブログのトップ画像も近いうちに変更出来ればしたいなぁ…と考えております。
何か使いたい画像ってありますか?
後、今後web作業が多くなるかもしれませんし文字を打つ機会が増えるかもしれません。
こちらのwebページが非常に丁寧にブラインドタッチを教えてくれていました。
参考になればと思います^^
それでは、良い夜を!
基礎タイピング講座(青い文字をクリックしていただくと新しいウィンドウが出ます)
http://homepage3.nifty.com/asdf/
慣れない作業は肩がこると思います…、
大変ですがサイト開設に向け
僕も含め皆さんで頑張っていきましょう^^
ところで、ただいま制作の説明書を制作中です。今しばらくお待ちください。
メールにてご送付いたします。
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何か使いたい画像ってありますか?
後、今後web作業が多くなるかもしれませんし文字を打つ機会が増えるかもしれません。
こちらのwebページが非常に丁寧にブラインドタッチを教えてくれていました。
参考になればと思います^^
それでは、良い夜を!
基礎タイピング講座(青い文字をクリックしていただくと新しいウィンドウが出ます)
http://homepage3.nifty.com/asdf/
2010年11月16日火曜日
どおくまんプロにて
本日は昼からどおくまんプロにてインターネット進出についての会議を今まで行いました
これで、まだ未発表の作品や未完の作品が発表できるようがんばりたいと思います。
おたのしみください。
これで、まだ未発表の作品や未完の作品が発表できるようがんばりたいと思います。
おたのしみください。
2010年11月15日月曜日
どおくまんプロ結成秘話 | その1
どおくまんプロ 昭和50年代 大阪市下新庄町に誕生、その後 吹田 に移転。
メンバーは どおくまん、太地大介、小池たかし、みわみわの4名でスタート。
代表作に『嗚呼!!花の応援団』 『熱笑!!花沢高校』 『暴力大将』 『なにわ遊侠伝』等がある。
映画化、アニメ化、舞台化された作品もある。
過去に書店用に単行本化されたものは、現在電子書籍のイーブックから、ほぼ全作品発刊中であるが、未単行本化の作品もまだまだ多く、電子書籍化をめざし、現在発表先をさがしているところである。
どおくまんのペンネームの由来
どプロ設立の3年位前、どおくまんは、「独漫」 というペンネームで主に青年漫画中心に、1、2本掲載していたが、当時はまったくの1人で描いていたので、一人の漫画家(孤独な漫画家という意味?実は本人もよくわからない。独という字が好きだったかもしれない)
しかしなんとなく、漫画って大変やな、こりゃとても1人じゃやれない、仲間を集めないと、という事で大学の友人の、小池たかし、や弟の、太地大介、そして弟の友人の、みわみわ、が集まってきた。
当時、東京の方で 『・・・△✕漫画家集団』 とかいうのがあって、なんとなくかっこよかった。当時は何かというと、東京の漫画雑誌の編集が、なんの責任もとらないくせに、すぐ 東京に出てこい なんていうバカをいう時代であった。大阪は完全に田舎扱いで・・・。文化は東京にしかないという言い方だ。
くそっ大阪も負けてられんというので、『独立大阪漫人集団』 というのを作ることにした。しかし名前が長すぎるし、漢字が多くて難しいというので、ひらがなで最初は 「どくおおまんしゅ」 の意見も出たが、なんだか怪しい酒のような名で、更に良くないので、思いきって短くし、更に 「独」 の間に 「お」 を入れて 「どおくまん」 に短縮したのだ。それを個人のペンネームにもし、プロの名にもしたのである。
この名で少年ジャンプに 『花田秀治郎』 の原稿を持って行った時、編集が「変な名の漫画家がいるんだよ、へへへ どおくまんだって」 と言ってたのを聞いて、この名はいける と思ったものだ。
つづく