どプロが一番忙しかった時
毎日!昼休みに近くの公園で野球の試合をしていました。
なんと、どプロの人間だけで2チームできていました。
当時のアシスタントの多さは
おそらく漫画制作人数なら、西日本最多だと思います。
その男達が真っ昼間
身体を真っ黒にして試合をしている姿を見て
誰も漫画を描いている団体だとは思わなかったでしょう。
…で、投げるのはもちろんエースのどおくまん
対するは七色の変化球を投げるみわみわ
そして豪速球投手の太地大介!
毎日この3人の死闘が続きました。
おそらく、どおくまんは軽く1000勝は越えていたでしょう。
ボクはといえば、あまり野球というものをやった事が無く
初めはバットにかすりもしませんでしたが
ある日、左で打ってみると以外に当たるので
左打ちにしました。
またボールは上から当てるという事を聞き
両手を上に上げる、異様なポーズを考案したりしていました。
とにかく漫画以上に必死で戦っていたのです…。
まー20代後半から左打ちにして成功?したのは
世界でも珍しいのではないかと思っております。
なんのこっちゃ?
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